往復書簡

子ども文庫を始められたのちおよそ40年
子どもの本に携ってらっしゃる福岡市南区『子どもの本や』店主
井上良子さんとの往復書簡です。 


『季刊 子どもと本』第1号(子ども文庫の会)

1往復目

2021年4月9日

 

 

 

往復書簡

 

 

『季刊 子どもと本』( 子ども文庫の会) のこと

 

 

“季刊 子どもと本”は面白い。

 

どれだけたくさんの本が世の中にあるかということを知ってる大人が、人間が人として生きていくためにはどんな本が必要なのか。そのことを教えてくれるのは生きる力をつける真っ最中の子どもであるということを知っていて、たくさんの子どもと本に向き合われ、その報告が惜しみなく、丁寧に、優しく、時に厳しく記されていて、本を読む醍醐味は想像で、想像がどんなに楽しく、生きる力になるかということを教えてくれる本だと 思います。この本で子どもたちの未来に責任を持たなくてはいけないことを痛切に感じました。

 

私が幼少期に母は自分の声が汚いからという理由で本を読んで聞かせてもらったことはありません。
代わりに、レコード付きの紙芝居が家にはあり 近所の子どもたちと遊ぶ際、紙芝居の前に座ってもらって レコードをかけ、私は「ピンポ~ン」の音に合わせてめくっていました。うれしかったのは 父が紙芝居の枠を作ってくれていたこと。

幼少期に何か読んでもらって感動したという記憶はありません。小学校に上がり、本は国語の勉強の延長線上に用意されていたようなもので、今も実家には、作文の書き方や伝記集が残っています。

 

そんな、文学とは無縁の環境で育ったおかげで、本の持つ深い力を感じたり 考えたりしたことはありませんでしたが、保育園に務めるようになってから 絵本のことを考えるようになりました。

保育園での勉強会で本屋さんの読み聞かせを体験し、絵本を読んであげることが 子どもの秩序を安定させる助けになるということをおしえてもらい、そのことがきっかけで 特定の園児に読み聞かせをすると、いつもあばれているその子が 絵本を読んでいる最中は集中して聞いている姿に出会い、絵本と子どもの関係性に驚き、その存在の意味を感じ始めていたころ「子どもと本」のことを知ります。

そこで紹介されている絵本から、人が強く生きていくために本には大きな力があること 絵本に質があるということ などを教えられ、本と子どもの関係を深く知るほど、子どもの置かれている環境を無視できないと考えはじめています。

 

井上さんは「子どもと本」のことをどうとらえてらっしゃいますか?


ありがと書店 伊藤寛美

2021年6月1日


拝復
お手紙をありがとうございました。
往復書簡の一回目に「『季刊 子どもと本』のこと」としてくださったこと、とてもうれしく思いましたし背筋が伸びる感じがしました。なぜなら福岡で「子どもの本や」として本屋をしている土台は「季刊 子どもと本」であり、子ども文庫の会のセミナー参加だったからです。そして、その流れで伊藤さんとの出会いもありました。
 福岡での子ども文庫の会のセミナーに参加する前になりますが、知人宅でそこの家の子が「これ読んで。」と持って来たのが「ちいさい おうち」(バージニア・リー・バートン文・絵)でした。その子はたしか五歳前だったと思います。読み終わって、内容の深さとともに五歳にもならない子がこのような絵本を聴けることと、聴けることを信じて作者が語っていることに衝撃を受けました。
その後福岡での子ども文庫の会のセミナーに参加をし、山本まつよさんが読んでくださった中に「せんろは つづくよ」(マーガレット・W・ブラウン文 J・シャロー絵)がありました。聴き終り心の中で「もう一回読んでください。」と思ったのを覚えています。
私にとって今ある原点の絵本はこの二冊といえるかもしれません。

子どもの頃の本の思い出として残っていることがあります。
四年生の三学期に福岡市内に転向して以来、ほとんどしゃべらない私に気遣い親切にしてくれたKちゃんが、学校よりの帰り道宮沢賢治の本のことを熱く語ってくれたことがあります。多分 「注文の多い料理店」か「銀河鉄道の夜」だったのではと思います。
本は積極的に読んではなく、本の楽しさを知らなかった私は「そうなんだ。」と思いながら、本のことよりも熱く語るKちゃん自身の方に心が向いていたと思います。

四十年近くの間に「季刊 子どもと本」とともに 取り上げてある本を読み続け(全部ではありませんが)、扉を一つ一つ開けていくように本の楽しさに出会ってきました。読み続けてきた本は見えないところで私の力になってきてくれています。

私を気遣ってくれたKちゃんの純粋さとやさしさを、その時以上に今強く感じます。本も同じで読んだ時の楽しさ心動かされたことが、色あせず時にはその時以上に残っていくように思われます。すぐ形に出ないもの目に見えないものほど本もの(本質)なのではと思います。

熊本のNさんが数カ月前、「『季刊 子どもと本』って読者に迎合していないよね。最初のころの思いがブレていない。そして自然と読者を育てていっている。」とおっしゃっていました。周りに迎合をし本質がずれてしまうことが多くある中、本質を見失わずに語ることにより、読者を本質に向き合わせてくれている。それにより私達読者も本質の大切さと、意味を自然に感じられてこられているように思います。

そのような「季刊 子どもと本」に知的さと健全さを感じます。

2往復目

井上さん

今回は悩み相談を聞いて下さい。

えほん屋・ありが10匹。(現、ありがと書店)は、細く細く続けて約9年になります。そんな小さな本屋にもいろいろなお客様にご来店いただきました。

その度に、いろんな感情が沸いてきます。

子どもたちの成長は刻一刻と変化し、又 新しい命が誕生し続けるわけですから、良い本が届かないことへのあせりもうまれてきます。

子どもたちは1人では来れませんから親御さんも一緒です。本屋ですから購入していただきたいのですが、押し付けてはいけない。でも、良い本に出会うチャンスの場にいらっしゃってるわけですから、届いてくれという気持ちが先走り、言葉が多く説明的になり、結果、親御さんに届いた感触なくがっかりすること しばしばです。

 子どもの本やさんでは、来店された親御さんへはどんな言葉をかけてらっしゃいますか?それとも、言葉はなくとも届く何かがありますか?

 

赤ちゃんを抱いて、期待をしてきてくださるお客様がいらっしゃいます。愛する赤ちゃんに絵本を読んであげたい一心で来られていることがわかります。私は以前、勤めていた保育園で子どもの成長のことを見て、感じていたこともあり、そのことと合わせて、子どもが本に出逢うタイミングのことなどをお話してみるのですが、赤ちゃん絵本の浸透力は強く、お話しても、大人のただただ買ってあげたい、読んであげたいという欲求を強く感じます。

いつから、赤ちゃんに絵本を!という運動が始まったのでしょう。昔は、もっと、赤ちゃんの成長をみながら、徐々に自然に本が用意されていったと思うのです。子どもの成長を、感覚や人肌でなく、教育ありきの頭で育ててしまっているのではないかと感じる親御さんに出会うと、子どもさんの成長を楽しめないでいらっしゃるのではないかと心配になります。

 そんなことを考えていると、文庫という場所は地域の子どもたちの成長を人肌でとらえ、一緒に育ててくれているという安心感のある場所だったのだろうと、その存在の必要性を感じます。

そんな、赤ちゃん絵本を信じて来店される親御さんには、どんな言葉をかけてあげてらっしゃいますか?

 

本屋をやっていて一番の喜びは、絵本を読んだ時、ぐーっと集中して楽しんでいる子どもの感性に触れた時です。この子とこの本の橋渡しができたような気がして、うれしくなります。と同時に改めて、届けることの責任を感じるのですが、井上さんは、たくさんの子どもたちに、本を届けてこられていますが、印象に残っているエピソードを教えてください。 
 

伊藤寛美 

拝復

 ご来店してくださるお客様へのお声かけ 難かしいですね。まず、どのくらいの年齢のどのような本(プレゼントかご自宅用か等)をお探しかをお聞きします。ご自宅での本を探しておられる時は、今どのような本を読んであるか、今までで気に入った本はどんな本かなどをお聞きします。そうすると、そのお子さんのことが来ていなくても感じられ、好きそうなのを数冊選び出し、簡単な説明をし興味がおありなのを、お時間が大丈夫でしたら読み聞いてもらいます。すべてのお客様にこの様な対応は出来ません。店を始めた当初はほとんどの方が人づてでのご来店でしたが、今はネット(ブログを載せているので)を見ていらっしゃる方も多く、求めてあることも多岐にわたっています。お客様が発せられるものを感じ、それに応えられればと思っています。そういった柔軟さが必要な気がします。そして、お子さんが一緒じゃなくても そのお子さんのことが感じられるかどうかは、子どもの本の専門店として大切なことだと思っています。

「言葉はなくても届く何かがありますか?」と書いていらしてて、書かれてた意味と少し違うかもしれませんが、お客様が本との出会いを見せてくださることがあります。お客様が重なり、何もお話し出来ないまま、お支払いをしてくださる時「え、この本を選ばれたんだ!」と思うことがあります。本を通しその方に出会えたような感覚です。同じ本が好きって、あまり多くを言わなくてもわかってくれる友達(親友に近い)のような感じがしますよね。そのようなことは 大人の方にもお子さんにもあり、本屋として嬉しい出来事のひとつです。

地域によって始まった時期は異なりますが、20数年前「ブックスタート」が始まりました。赤ちゃんの時から本に親しんでいれば習慣になり本好きになるのではということで、保健所での検診の時本が配布されています。

 現在店に来る子のほとんどが赤ちゃんの時から本を読んでもらってた子です。店で本を読むと、聞いているけど心が動いているのが伝わってこないのを感じます。赤ちゃんの時と2歳半から本と出会うのでは、出会い方が違うような気がします。本ですから文学(心が動くもの)として出会ってほしいです。心が動くという出会い方をすると、楽しくて、真綿が水を吸収するように、本の世界に入っていきます。しかし、赤ちゃんから本に出会っている子は、そこが淡泊なような気がします。赤ちゃん絵本を求めて来られるお客様によくする話は、いろんな果物が載っている絵本を見せるのではなく、例えば本物のりんごを持って来、その手ざわり・香り・食べた時の甘ずっぱい感じ、そういったことを五感に感じさせてくださいと言います。五感が発達する時期なので、本からではなく本物に直接 触れさせてあげていってほしいです。

 印象に残っているエピソードはたくさんあります。なので おいおいと。

 「日本昔話百選」(三省堂)の中に「桃太郎」が入っています。店に定期的に通ってくださってたお客様の4歳の男の子がこのお話が大好きで、寝る前にまず「桃太郎」を読まされ、持って来た絵本を読まされます。とおっしゃってました。

「日本昔話百選」の中の桃太郎は正義感あふれる桃太郎ではなく、働き者でもなく やっと山仕事に行っても、弁当を食べるとき以外は昼寝ばかりしていた、寝太郎型の桃太郎です。この昔話が持っているおおらかさや生きていくことの醍醐味を4歳の子が感じ、毎晩楽しんでいたのですね。子どもってすごいなと思います。現在その子も20歳頃になっているでしょうか。一度も会った事はありませんでしたけど、「桃太郎」を読む度にその子の 子どもが持っているすごさを感じています。

 伊藤さんは9年続けて来られてどのようなエピソードがおありですか?9年前お好きだった本と現在お好きな本と変化はありますか?

 

2021年 8月10日

井上良子

3往復目

井上さん


本を届けるときに、どんなお子さんなのかを感じるということは、難しいことですが、大事だなと思います。お子さんの表情などから、あっ今、受け止められているなと実感したら、次はこの本を!と前のめりになってしまうのですが、そのままつきあってくれて次の本をたのしむ子もいれば、一冊の余韻をじっくり味わいたい子もいるようで、反省することばかりです。


3年ほど前のこと、5歳の男の子とお母さんがいらっしゃいました。店先の本を見て「てぶくろ」や「かいじゅうたちのいるところ」がおうちにあるというお話をお母さんがされているうちに男の子が「どろぼうとおんどりこぞう」に興味をもったようだったので、「読みましょうか」と二人にお読みすると、お二人ともおはなしにしっかり入ってらっしゃって、どろぼうがだまされていっているところもくすくすと笑ってあり、楽しまれてることがよくわかりました。その日はそのまま帰られたのですが、1か月後に、あの時読んでもらった本を買いに来ました、とまた二人で来店くださいました。その後、再びいらした際は、お食事をされただけ(当時、お店でパンケーキなどのお食事を用意していました)だったのですが、そのお食事中にも二人で本の話をされていて、この男の子の生活の中に自然に本があるのを感じました。

遊び道具だったり、しつけの媒体だったりと本が道具のように扱われ、心の豊かさとは違うところで存在してしまっていることを考えることがあるなかで、この男の子が本とであう喜びを知っていることを感じ、嬉しくもありうらやましくもありました。

男の子は、はじめてお店に来たとき、はじめは不安そうな表情をしていたのですが、いろんなことに興味をもっていて、ひとつひとつ訊ねてこられ、ひとつひとつわかっていくと、満足した表情になっていって、とても賢い子だなという印象でした。次に来店した時には、勝手知ったる我が家のように落ち着いて椅子に座り、お食事もたのしんでいた様子でした。そんな、経験ひとつひとつを真摯に受け止めて、自分の体験として積み上げていくことのできるお子さんだったからこそ、「どろぼうとおんどりこぞう」にながれる、覚悟をもって行動をおこし、行動を乗り越えた先ににじみでるユーモアまでをもたのしめたんだろうと思います。

その後も母子であそびにいらっしゃいますが、本を購入されることはありません。

でも、あのとき購入した本を何度も読んでるんですよ、と伝えてくださいますから、その子にとって大切な一冊ができたということなのだと思います。



私の好きな本は変化しています。

本に質があることを知り、心の動き方の違いを感じることが、本の楽しみ方のひとつになっています。以前は、はやりの推理小説や感傷的なものを好んで消耗品のように読んでいました。いまでも時々読みたくなりますが、これは、無性にインスタントラーメンが食べたくなるのに近い感じです。

10年前「季刊 子どもと本」に紹介されている本を創刊号の「うさこちゃん」から読んでいくうちに「日本昔話百選」に出会い、はじめてこの昔話を読んだ後の安堵感は忘れられません。

特にどの話が好きというのはないのですが、滑稽話や人情噺のなかに生きているひとや動物はずっとむかしからあり、変わらず、その時代のおじいさんやおばあさんが語ってくれていた、ということを想像すると、命の根っこが伸びていく感じがします。

古典といわれなお現在にも残っているお話は、多かれ少なかれ、そのようなものだと感じています。

これまでにも、昔話は聞かされていましたが、まったく別物だったことがわかり、幼少期にこの本当のところにある、力のあるおはなしを聞かせてもらっていたら、随分、自分の生き方は変わっただろうと思ったことでした。

この本で、昔話を知ることができた子どもたちは、幸せだと思います。

 

井上さんはどうですか。好きな本の変化はありましたか?

また、こどもたちのエピソード、教えてください。


2022.1.15

伊藤寛美 

伊藤さん

3回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。
拝読をし、すてきな親子に出会われたのだと思いました。一つ一つのことをゆっくりと楽しみながら味わってある親子さんですね。
これからも「どろぼうとおんどりこぞう」に接する度に温かな思い出がよみがえってこられることでしょう。

「日本昔話百選」に触れてありましたが、私も「日本昔話百選」の特に「花咲爺」を読んだ時、心が動かされました。私が子どものころ読んでた「花さかじいさん」は犬のポチが出て来、「ここほれワンワン」と言う印象しか残っていず、「日本昔話百選」の中に流れている人と犬との情愛を全く感じられませんでした。人が犬のことを思い犬が人のことを思う心に、それを感傷的ではなく淡々と語っていることに、だから心に入って来るのでしょう。この昔話を子どものころ読めていたら人生をもっと楽に生きて来られたのではと思いました。
昔話の持っている力を感じたはじまりだったと思います。

子どものことで思い出すのはドロシー・マリノのくんちゃんシリーズが好きだった年中後半か年長のころの男の子のことです。店を始める前に自宅で不定期に本屋をしていた時期があり、近所だったその子がお母さんと来てくれてくんちゃんの本を買って行ってくれました。その夜、お母さんから電話があり「今、今日買ったくんちゃんの本を読んだんだけど、他にもくんちゃんがあったからおばちゃんに取っといてと言ってと言うので。」と。 そのお母さんの声の後から「くんちゃん くんちゃん」と言う声がしたのをはっきり覚えています。
その子ももう40歳前になっています。その後引越しをしたので 今、どうしているかはわかりませんが、子どもがいたら読んでやっているのかなと思ったりします。

好きな本の変化になるかわかりませんが、「三びきのやぎのがらがらどん」のよさを最初 全くわかりませんでした。娘に読み その後息子に読み 文庫の子たちに読み、それらの子ども達からこの本のすばらしさをおしえてもらいました。この絵本がどれだけ自分達の力になっているかを、言葉ではなく繰り返し聞きたがり、聞いた後の満足顔からです。数年前 店に小学1年生の男の子が入って来「やぎの絵本 読んで。」と。「三びきのやぎのがらがらどん」と訊くと、「そうそうそれ。」と。読んでやると嬉しそうにまた外に遊びに行きました。そして何日かしてやって来「三びきのやぎのがらがらどん」を読みました。その子は保育園に行っていたのでそこで読んでもらったのでしょう。それが印象深く残っていたのでしょう。ご近所なのでお母さんとは挨拶する程度ですが、このお母さんはこの子がこれほどこの絵本を好きなのをご存知ないのだろうと思ったりします。毅然としてあるお母さんですが、本に関しては全く興味のない方のようなので。

 前にお話したことですが、ここでも書かせてください。今、年長の女の子が「ぜいたく」という言葉をある時聞いて来、お母さんに「私のぜいたくはね、○○ちゃんとびわの木に登り びわを次々と食べること」と言ったとのこと。そのお友達の家は高台にありそこにびわの木があるそうです。そのお話を聞いた時子どもってすごいなと思いました。ぜいたくの本質を的確に捉え感じられる人達なのですね。大好きな友達と大好きなびわを思い切り食べられること。それも少し高い見はらしのよい所で。それがぜいたくだと。
その子とは2度会いましたが話はしていません。でも、その子を感じることは出来ます。どんな子なのかを感じるというのは外面ではなく内面なのではないでしょうか。会っていなくても話をしたこともなくても その子の内面の心に出会う、それが感じるということなのではないでしょうか。


 1回目の往復書簡で「季刊 子どもと本」のことに触れてくださってますが、その「子ども文庫の会」を創り「季刊 子どもと本」発行をはじめられた 山本まつよさんが 昨年11月27日にお亡くなりになられました。98歳でした。
「季刊 子どもと本」最新号第168号は一部 追悼号となっており、9人の方が文を寄せてくださっています。文を拝読し 9人の方が山本まつよさんが投げかけられたことを心の中心で受け取り温めて生きておられるのを感じました。
伊藤さんも一度 お会いになられてますよね。その思い出とともにお読みになられてください。


2022年 1月31日
井上 良子

 

『季刊 子どもと本』第168号 (子ども文庫の会)


4往復目

井上さん

 

『季刊 子どもと本』第168号、拝読しました。

 

私が山本まつよさんにお会いしに代々木の事務所へ伺いましたのは2013年、『季刊 子どもと本』を勉強し始めて1年ぐらいの頃です。

その時期、東京へ行くことがあり、地図の右も左もわからないなか、夫の「ご迷惑かもしれないが、この機会にダメもとでお訪ねしてみた方がいいんじゃないか?」という言葉と、事務所へ伺う直前に井上さんにお電話した際、井上さんがお聞かせくださった山本さんのご体調を心に留めながら、『季刊 子どもと本』に掲載されている住所を頼りに訪ねさせていただきました。図々しく押しかけた割に、到着した時の私はかなり緊張しており、その様子に戸惑われたと思うのですが、青木さんが応対してくださり、奥の部屋へと案内してくださいました。

お部屋にはいると山本さんがいらっしゃいました。

 

福岡でちいさな絵本屋をやっていることや、『季刊 子どもと本』で子どもの本のことを勉強しているというようなことをお話させていただいたと思います。山本さんとは二言三言、言葉を交わさせていただいただけではありましたが、そのときの、山本さんのお使いになる日本語の響き、そのトーンの美しさは、今でも忘れられません。

その声で文庫の子ども達が本を読んでもらったり、お話を聞いてもらったりしているというのはとても豊かで贅沢な時間に違いないと、うらやましく感じながら事務所をあとにしたことを憶えています。

 

追悼文からは、山本さんが子どもたちから発見し、示し続けてこられたものが継承されているのを感じました。

 

いま、リリアン・H・スミス 著 石井桃子/瀬田貞二/渡辺茂男 訳の『児童文学論』(発行1964年 岩波書店)を読み終えたところです。原書は1953年に発行されています。そのなかに「子どもはおとなの父」という言葉がありました。

 

『季刊 子どもと本』創刊号では山本さんが「この世界で私たちの案内役は、子どもをおいてありません。ですから大人は、いつも謙虚に子どもたちと向き合い、子どもから学べばいいのです。」と教えてくださっています。

 

まつよさんが書かれているように「謙虚に子どもたちと向き合う」ということはとても難しいことですが、井上さんの話してくださる経験談や、子どもと本で紹介されている文庫に来る子どもたちの様子を知ると、肩の力が抜け、子どもたちの感性のたしかさを再確認し、やはり子どもたちのそばには上質な本があるべきだ、との思いを未熟なりに強くさせていただいております。

 

山本まつよさんから受け取られたことを、私は井上さんにたくさん教えていただいています。そこで、改めてお願いしたいのですが、ぜひ、この往復書簡にそのなかのひとつだけでも書いていただけませんでしょうか。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

伊藤さん

4回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。

 山本まつよさんにおしえていただいたことはたくさんありますが、特に私の中で大きかったことを書きます。

私が山本さんに初めてお会いしたのは、福岡での第2回目のセミナーがあった1983年8月です。初級セミナーの「絵本」は受講生が好きな気になる絵本を持ち寄り、その中からと東京よりお持ちくださった絵本から数冊を山本さんが読んでくださってました。持ち寄りの一冊に「しろいうさぎとくろいうさぎ」があり 読んでくださってから「お好きな方?」とお訊ねになりました。私も含め何人もの人が手をあげました。「どこがお好きですか?」という問いにある方が好きなところや感想など言われ、その方と山本さんとのくり返されるやり取りから、私がこの絵本が好きなのは、私の中にあるセンチメンタルな感情からくるものなのだということがはっきりとわかりました。自分の中にセンチメンタルな感情があることに気づいた瞬間でした。

それまでに読んでいた本の中にもセンチメンタルな本があり、それをよしとしていたのは内容ではなく、それに涙する自分に酔っていたのだと気づきました。 その後たくさんの本を読んでいく中で 今ではセンチメンタルなところでは本は読めない、本質に辿り着けないとはっきりわかります。

 

 もうひとつは、1985年6月の第1回目の熊本セミナーに参加をし、質問をしたことです。娘が1歳9ヶ月になっていて、2歳半前でも楽しめないかとしつこく質問をしました。最後に山本さんは「あなたがそう思われるのでしたらそうなさったら。わたくしはいたしませんけど。」と仰いました。山本さんはそうされないんだ、やはり意味のないことなのだと感じすとんと落ち、ぐちゃぐちゃしていたことがすっきりしたのを覚えています。

現在までの我が子を含め子どもとの関りから、何と拙い質問をしたのかと恥ずかしいです。その愚かな質問にも山本さんはまっ正面からきちんと向き合い答えてくださいました。

自分の中にあったセンチメンタルの気づきと、子どもが本(文学)と出会える年齢は2歳半からであることの確信。基盤となり これまで進んで来られています。

 

 本屋を始める時山本さんが、「細くでいいから長く続けること。」と仰ってくださいました。長く続けることの意味の深さと大切さを経てきた歳月とともに重く感じています。

 

 ご存命の時より一層山本さんを近く感じます。それだけ大きな深いものを私の中に残していってくださいました。仰った時には気づけなかったことを時を経て、こういうことかと思うことがよくあります。

未熟な生徒を突き放されず厳しく温かく根気よく導き続けてくださいました。どれだけそれに応えることが出来るかわかりませんが、山本さんの子どもへの子どもの本への思いをみなさんに伝え、「季刊 子どもと本」で取り上げてある質のある本を、次の世代に一冊でも多く残していけるようやっていけたらと思っています。

 

 

2022年 5月4日
 井上良子

5往復目

井上さん

 

先日、東京で子ども文庫の会のセミナーに参加しました。

セミナーは 全5回です。そのうちの2回に加わりました。1回は、参加者が各々 絵本を持ち寄り、紹介し、感想を伝え合い さらに似た他の本と読み比べていくというような内容で、もう1回は『日本昔話百選』の中からいくつかの昔話を読んでいくというものでした。

福岡の子どもの本やさんで不定期にやっていただいたおはなし会と同様、1冊1冊をひもといていき、本のというか、文章のあり方が読む側にもたらす影響力を実感し、本、本来の楽しさを知ることができる時間でした。なかでも、印象深かったものは

『ピーターラビットのおはなし』です。

今回このピーターラビットのシリーズは、訳者、出版社が変わって新しく出されていますが、その新しいものと、それ以前の訳者のものとを それぞれ読んでいったのですが、全くといっていい程、違うものになっていました。以前のものにある、物語中の、時々 感じることのできるユーモアから湧き上がる余韻が、新しい方には全くありません。とても驚きました。こんなに違うものに変えてしまうことができる出版社や訳者に腹も立ちました。

そして、これから この新しい『ピーターラビットのおはなし』にであう子どもたちは、大人になっても思い出すことはないだろうと思います。

 

昔話にも同じことがありますよね。

以前、子どもの本やさんでも比べ読みで体験していましたが、今回のセミナーでも改めて。

口頭伝承で長い年月をかけて語られてきた昔話を、再話で創ったものには 心に残るものがすっかりけずり落とされ、面白味がなくなってしまっているという。

再話されたものを読み終わった後の 後味の悪さをそしゃくするのに時間がかかることになりました。

セミナーに参加して思うのは、子どもたちのやわらかい感性を質の悪い文章や言葉で固めてしまうことの罪深さです。

今の自分には全く力が無いことも痛感します。

セミナーには気付きががあり、貴重で豊かな時間です。

子どもの本やさんの勉強会にも 又、参加します。

よろしくお願いします。

 

 2022年7月23日

伊藤寛美

拝復


伊藤さん5回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。
  ご主人が監督をされた「おれらの多度祭」上映のことで2ヶ月東京に滞在をされ、その間子ども文庫の会の初級セミナーに参加もされ、東京での生活を満喫されましたね。

 お手紙を拝読し、本の奥深さに改めて心を動かされ、伝えることの大切さと難しさを感じられたのが伝わってきました。

 

  月に一度いらしてくださるお客様(女性)が、表紙が見えるよう並べていた棚の「あひるのピンの ぼうけん」を見られ、「小学一年生の時 先生が『シナの五にんきょうだい』を読んでくださいました。その絵と同じですよね。」と懐かしそうにおっしゃってました。五十代の方ですが、残っておありなのですね。本(文学)と出会うって、こういったことなんだなとお話を聞きながら思いました。すぐ結果や形としては出ないけど、心の中心の所に入り、豊かな思い出として満たされるものなのですね。

 

 昔話は口承文芸なので口づたえに耳から入り、聴き手が想像を膨らませていく。なので、昔話の約束ごとに語りは簡潔であり話は前へ前へ進んでいくとあります。しかし、再話の中にはくどくどとしたものもあります。そういった説明的な再話を好まれる方もいます。想像していく楽しさよりも、説明されることの方を好むということが。すぐれた絵本や本はすべてを語らず、読み手聴き手を信じ任せています。そういった本よりは想像する余地のない本を選ぶ人が増えてきているように思われ、危惧しているところです。想像する喜びが奪われてきているように思われます。なので、100年後に想像の喜びを感じさせてくれる、M・センダック、E・ファージョン、J・R・R・トールキン、A・ランサム、R・サトクリフ、I・B・シンガー、J・エイキン、F・ピアスなど 私の大好きな作家の本を読めるよう残していくこと。さて、どうすればよいか。答えは子どもです。子どもにそれらの作家の本に出会ってもらう。そうするには、お母さんお父さんです。両親が(どちらかでも)本が好きだったら子どもは読み続けていきます。

 お手紙に「今の自分には全く力がないことも痛感します。」と書いてありましたが、踏み出していかれてください。小さなことからでも。結果はすぐには出ません。しかし、気持ちを伝える(出す)行動をされてください。 100年後の子どもたちのために。

 

 

2022年8月2日

井上良子

6往復目

井上さん

 

 先日、車移動していると 目の前を猿の一家が横切っていきました。総勢10匹程で、食べ物を探しに山を降りてきたようでした。

 先に、すばしっこそうな2匹が様子をうかがいにきていて、少し経ってから体格の良いボスらしき猿と子猿を2~3匹背負った猿がゆっくりと畑に向かって行きました。背中にしっかりとしがみついている子猿と、そのことを当然として食べ物(生きていかないといけませんから)を目指している親猿の姿は 家族のあり方の基本そのものでした。

 日本の昔話に猿が登場しますが、とても近い存在だったのだろうと実感した出来事でした。

 

 出会うことで心が動いたり、想像の喜びを感じることができたり。

 体験する前には無かった感覚が、体験した後に芽生えているというのは、とても不思議です。

 以前(もう随分前になりますが)、井上さんから「心が動いたことが核となって、それはどんどん大きくなっていく」といったお話を聞いた時、ピンときていませんでした。しかし、その後『季刊 子どもと本』を通じて出会った本で、何ともいえない優しさや美しさや力強さのようなものが心を覆った体験は、ずっと消えません。本だけでなく自然や食べ物でも同じくらい心、動かされるものに出会ったとき、その中心部分が太くなるような感じがします。往復書簡の1回目のお返事にある「読み続けてきた本が、見えないところで力になってきてくれている」ということが、ようやくわかってきたように思います。

 たくさんの情報があるなかで、五十代で子どもの本やさんに出会われたり、セミナーに参加される方がおられることは、奇跡のように思います。

 豊かな自然や文化も残そうとしなければ一瞬にして無くなってしまいますから、出会うことのできた自分は、しぶとく、できることをやっていきたいと思います。

 

 今度、小学校の2年生と保護者さんたちへ、本のことをお話しする機会を頂きました。

 現代の日本の家庭環境は様々です。

 私は以前、夜間保育と昼間の保育を併設した保育園に勤めていました。保育園の開園時間は7:00~26:00。登園してくる時間も帰る時間も様々。家庭環境も様々。

 そこでとても大切にされていたのは『環境』でした。

 職員の立ちふるまいもですが、置かれている物・使う道具などはシンプルでかつ美しいものをということを考えて用意してありました。そんななかで過ごす子どもたちは、ひとつずつ感覚や感性を自分のものにしていき、生きる力にしているようでした。


 小学2年生ともなると、もうしっかり自分の好みを自覚していますから、全くつまらないものには見向きもしないでしょう。今度 逢う 子どもたちがどんな幼少期を過ごし、どんなお話に出会ってきたのか想像しながら当日のことを考えています。今からとても楽しみです。

 

 子どもの本やさんの近くには小学校がありますが、今年の夏休み、本屋さんへやってくる子どもたちの様子はいかがでしたでしたか?教えてください。

2022年9月5日

伊藤寛美

拝復

 伊藤さん6回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。

 猿の一家に遭遇され、日本の昔話に猿が登場し、とても近い存在だったのだろうと実感したと書いておられました。「日本昔話百選」(三省堂)の中の「狼の眉毛」は好きな話のひとつなのですが、それを読むと、動物と人との関係が今よりもっと近かったのだろうと感じます。狼が「お前は真人間じゃ。」と言って助けてくれるのですが、実際はそういったことはないでしょう。しかし、そういったこともありえるという関係(心と心との)だったのだろうと思われ、そこに生きていくことの望みのようなものが伝わってきます。

 

 この夏、「ともしびをかかげて」(ローズマリ・サトクリフ)を20年ぶりぐらいに再読しました。読み終え、人に対し自分に対し正直に誠実に生きる人としての道を、サトクリフを含め読んできた すぐれた作家より学んできたのだと改めて強く思いました。私はこのような人達に出会いたいため、そこに喜びを感じながら、本を読んでいるのだと思います。

 

 来店されたお客様との会話の中で、子どもがいつごろから字を書くようになったかという話になりました。息子は読むのも書けることも全くなく小学校に入学したのですが、今日はこの字を習ったと嬉しそうに毎日言っていたのを思い出しました。知らなかったことを知った喜びを感じていたのですね。その後息子のペースと授業のペースが合わなくなり、喜びの声も出なくなりました。

 今、子どもの世界を見ると、喜びに出会う機会が少なくなってきているのではと思います。大人が前もって準備をして子どもに出会わせるため、初体験で感じる喜びが失せてしまっているのではと。喜びを感じることを、大人が奪ってしまっているのかもしれませんね。

 

 今年の夏休みは猛暑とコロナで親子での来店が少なかったです。それでも何組かいらしてくださり、子どもたちのおしゃべりにずいぶんと和まされました。

 

8月末に高校3年生のK君がバイトの前に「まだ、お店があるかと思って。」と寄ってくれました。「まだ続けてるよ。K君に子どもが出来たら買いに来てね。」と言うと「来るよ。」と言ってバイト先へと走り出しました。「2歳半からでいいからね。」と走って行くうしろ姿に声をかけると、立ち止まり手を振ってくれました。

 K君とは彼が小学校1年生の時出会い、4年生の時友人と本を聴きに来てくれたこともありました。1冊読み、次は少し寂しい本がいいという注文に、「赤い目のドラゴン」(リンドグレーン文)を読みました。読み終わると感想をそれぞれ言ってくれK君は「ぼくも大人になったら このように家を出ていくのだろうね。」と言い、ドラゴンの方に気持が重なったんだなと思ったことでした。

 K君の子どもが2歳半になるまで続けなくてはと思ったこの夏でした。

 

2022年 9月19日

井上良子

7往復目

井上さん


先日、小学校へ行ってきました。

そこで小学2年の子どもたちと親御さんに本の紹介をさせてもらいました。

事前に、図書の先生に日頃 読んでいる本を伺い、当日は親御さんにも一緒にそれらの本を体験してもらうことにしました。

 準備したのは「からたちの花がさいたよ」「かいじゅうたちのいるところ」「三びきのやぎのがらがらどん」。それとこちらから「赤い目のドラゴン」を用意しました。

 どの子も図書室をよく利用しているのか、みんな楽しげな様子で、本の会が始まる30分も前に集まってくれていました。せっかくなので その時間に自己紹介もかねて好きな本をおしえてもらうことにしました。質がどうかはともかく、自分の好きな本をしっかりと伝えてくれている様にはたのもしさを感じました。親御さんにも同じように自己紹介をお願いしたのですが、いろんな本を読んでいますと あいまいな言い方だったり、本は読んでいないといわれる方だったりと、本との関わりの違いがはっきりしていました。会の後半で親御さんには本の質の違いをお話させていただいたのですが、その時のみなさんの感想には 自己紹介の時に伺った各々が持つ本の捉え方の違いに通じるものがありました。

 そんな親御さんと子どもたちに向けて本を読んだ時、とても楽しいことがありました。それは、「からたちの花がさいたよ」から”お祭”を朗読し始めると 子どもたちが一緒に口ずさんでくれたのです。その様子に親御さんたちも私もおどろきました。と同時にそれもそうだと納得もしたのです。

 

 今回「からたちの花がさいたよ」を読み返しました。その時、1ページからめくるのではなく、開いたページの詩を声に出して読みました。どの詩もテンポが良く、日本語のくり返しが心地よく韻をふんでいて、次から次に読みたくなりました。そして詩ひとつひとつの 景色が広がっていく感覚も、とても気持ちの良いものが残りました。

 トン、コトリ。 もそよ、もそよ、 ほろんとしてる、 とんろん、 

 とっとっと、とっとっと、 ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、 わっしょい、わっしょい、

 すうすとけずろ。・・・・

次々に出てくる表現からは、音、風、光、気配が感じられます。

これらの 詩が放っているものを 子どもたちはなんのてらいもなく受け止め体験できているんだと思います。

 「からたちの花がさいたよ」(岩波少年文庫)の最後のページに“自分の童謡は日本の自然の智慧の祭”という一文があります。白秋の詩を読むと力が湧いてくるのですが、それはこの文にある自然の知恵が言葉のなかに秘められていてその恩恵なのだなと再考しました。

 

 偶然、「季刊 子どもと本」の最新 第171号の表紙に白秋のことが紹介されていたのですが、これまでにも連載されている「白秋と子どもたちの詩」を又、読み返しています。

 ところで井上さんは「からたちの花がさいたよ」の中でどの詩がお好きですか?私は「やさい」です。今、畑で じゃが芋や大根を育てているのですが、芽が土の上に出てきた時の愛らしさと重なって、読むと目尻が下がります。

2022年12月14日

伊藤 寛美

拝復

 新しい年を迎えました。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 7回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。

拝読いたし、小学校に行かれての子ども達と親御さんの様子がとてもわかりやすく伝わってきました。子ども達の声が聴こえるようでした。よい時間を持たれ体験をされましたね。やはり子どもは私達大人にとって先生ですね。大切なことをまっすぐに伝え おしえてくれます。

 

 北原白秋「からたちの花がさいたよ」(岩波少年文庫)の中の詩を読まれたのもよかったですね。子どもは何の構えもなく詩の中にスーッと入っていけますものね。うらやましいくらいに。

「からたちの花がさいたよ」の中で私の好きな詩は「ちんちん千鳥」です。

ねむらず一晩中 啼いているちんちん千鳥のことを、寝れず聴いている作者の孤独さが伝わってきます。詩は美しい言葉を羅列することではなく、心を詠むことなのだと、この詩によって気づき知りました。詩人の心(魂)が響き読み手に入ってくるものだと。なので、詩には深みがあり味があり時として心を開放してくれ力となる。
まさに文学です。

 

 昨年11月22日に校区の小学校2年生
13名が、生活科の「もっとなかよしまちたんけん」学習で店に来てくれました。7個ほど質問を受け、最後に「イギリスとアイルランドの昔話」(福音館書店)から「ちいちゃい、ちいちゃい」を読みました。後日、先生が子ども達の感想を書いたものを表にし、持って来てくださいました。

 その中のひとつを紹介します。「わたしも本がすきで いろいろおしえてもらってもっと本がすきになりました。本をよむとふいんきがあることをしりました。ほんとうにありがとうございました。」雰囲気と書いてありますが、行間を楽しんでいるのですね。当日もそうでしたが子ども達の感想を読み、受けてよかったと思いました。ある子は本屋の小さいドアと大きなドアを描いてくれていて、楽しかったことがその絵からも伝わってきました。

 

一カ月に一度いらしてくださるIさんは、昨年読まれた本の中で「ねずみ女房」(福音館書店)が特に大切な本となられ、本がお好きなお友達にプレゼントをされました。Iさんは その年 読まれた本でお好きだったのを記してのクリスマスカードを毎年くださるのですが、お友達の「ねずみ女房」の感想も書いてくださっていました。拝読し深く心に沁みられ、この本の本質に出会われてあるすてきな感想でした。本屋として最高のクリスマスプレゼントでした。

 

 年末は27日まで開け、最後の日にいらしてくださったお客様お二人からすてきなお話をお聴きしました。

 Nさんは お子さんたち(高校生と中学生)と読んだ「チムとゆうかんなせんちょうさん」(福音館書店)がお好きで、悩みがある時よくこの絵本を手にされるとのこと。チムが自分で決め船に残り、嵐の中自分で決めたことを後悔せず向き合う姿に、心が動かされ力をもらうとおっしゃっていました。お子さんが小学生の時、ある先生が子ども達のことで悩まれてあり、「読んでみられませんか。」とお貸しされたそうです。何かふっきられたような気がしたので改めてプレゼントをされたとのこと。

 Aさんは雪の積もった12月18日ご主人の実家に行かれた時、4歳のGくんが庭にあるスイートスプリングを見に行き、それを取るためにハサミを借りに家に戻り、再びハサミを手に庭に、実を入れる袋がいるともらいに家に、ハサミと袋を手に木に戻り実を収穫し家に入って来たと。雪の中を三往復の冒険でした。それに付き合われたAさんが、まるで「くんちゃんのだいりょこう」(岩波書店)のようでしたと。あの絵本を読んでなかったら、くんちゃんみたいと思って付き合っていなかったと思いますとおっしゃっていました。

 本が持っている力を感じます。心に響き楽しみながら読まれたことが、自然とご自身の力になっておられます。

 

 昨年感じたことのひとつが、人の動きが個(点)であると。面として広がっていくような動き方をしなくなってきているのではと思われます。何故なのかなと思います。楽しいこと心に響いたことは自然と人に伝え広がり面となっていくのではと思います。それが感じられなくなってきており、どこか人が閉鎖的になってきているように思えます。

なので、Iさんの「ねずみ女房」を通してのお友達とのことや感想は、その方を存じ上げなくても「一緒。私もそう思います。」という気持ちで面となりその繋がりを感じます。Nさんも「チムとゆうかんなせんちょうさん」をお一人だけの楽しみとせず、気になる方に渡されてあります。Aさんも本のことお子さんの出来事を分けて考えず重ねられ、ご自身の中で面として広げてあります。

 三人の方を含め、人を信頼してある姿に昨年も接することが出来、心を満たされ希望を感じ、本屋の一年を終えました。

 

 

2023年1月7日
井上良子

8往復目

井上さん

 

8回目の往復書簡になります。

 

 今、私は保育士資格の勉強をしています。

その中には子どもに関する法律も含まれています。

今年の4月1日からは「こども基本法」が施行されました。

この法律は「児童の権利に関する条約」(1989年に国連にて採択)を基本としているとのこと。この条約の規定には次のような文言があります。

「(略)児童が社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神ならびに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等および連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し、(略)」(前文より)

「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢および成熟度に従って相応に考慮されるものとする」(第12条 意見の表明)

というように、子どもたちの権利が明記されています。

 これらの法律を勉強するにつれ、このような約束ごとを作り、守る側の大人が、平和、尊厳、寛容、自由、平等、連帯の精神を忘れがちなのではなかろうかと、冷汗が出ます。

この条約が国連で採択されたのが1989年。それまでにも日本独自の子どもに関する法律はいくつもあったなか、子どもの権利が明記されたのはここ数10年のこと。文学の世界では100年も前から、子どもの想像性や創造性に寄り添い子どもたちと謙虚に向き合われた作り手の本がいくつもあります。

 本の歴史と子どもに関する法律の歴史とを平行してみると、時代の中で子どもたちの環境が大人にどれだけ翻弄されていることかと頭をかかえてしまいます。そしてやはり、昔話や古典といわれ読み続けられている物語を大人が知ることがどんなに重要かということに思い至ります。

 

先日 ご案内をいただきました映画の上映会はいかがでしたでしょうか。

教育哲学者で、全国各地の小学校を回られ、対話的な授業実践をされ、「授業・人間について」の著者である 林竹ニ氏 のドキュメンタリー映画だったそうで、私も1度拝見したことはあったのですが、映画中の子どもたちの授業に集中している様子は忘れられません。


映画は1977年の小学校の授業風景なので、参加された方の中にはとても遠い昔の違う世界のように感じられた方もいらっしゃったのではないでしょうか。でも、この映画のなかの子どもたちの様子は、本屋に来た時にとても興味のある本に出会ってよんでいる時の彼らと同じですよね。

 今回は参加できませんでしたが、又 見たい映画です。

 

伊藤寛美

2023年5月21日

伊藤寛美 様

 拝復

 梅雨に入り、雨にうたれて 紫陽花が美しいですね。

 伊藤さん、8回目の往復書簡をありがとうございました。

 

 保育士資格の勉強中なのですね。お手紙を拝読し、守られるべき子どもの権利を改めて考えさせられました。書いていらしてたように、これらの法律と現実とが相俟っているのかと、おおいに疑問に感じます。

最近の改正入管法の成立をみても、人権尊重の観点からほど遠い国なのだと思います。人権が外国の人達とともに日本人に対しても守られていない。人権という言葉はあるがそれが生活の中に根付いていない国なのだと思います。悲しいですし恥ずかしいです。

 今月9日に校区の小学3年生13人と先生お2人が、「町じまん」? の授業で店に来られました。昨年11月(2年生の時)に「もっと なかよし まち たんけん」で来てくれた子も中に2人いました。本屋の思いを話し、いくつか質問を受けました。「どうしてこの校区で本屋をしようと思ったのか?」「どうして『子どもの本や』なのか?」という質問もあり、昨年2年生の時より一歩踏み込んでいる気がし、半年間の子どもの成長に驚きを覚えました。

現在復刊中の「せんろはつづくよ」(M.W.ブラウン文 J.シャロー絵)を読み、こういった本がいつでも買えることが願いです と話しました。本屋の案内に書いている「ドリトル先生」「メアリー・ポピンズ」を心の友として出会ってくれることも願いであり、子どもの気持(大人から見た子どもの気持ではなく)がきちんの語られている本に出会ってほしい、それが質のある本だと思うと話しました。 その後店に来られた方が質のことは難しかったのではと言われましたが、昨年の2年生 女の子の「本をよむとふいんき(雰囲気)があることをしりました。」の感想が、伝えたい思いを後押ししてくれたのだと思います。

 

11日は 林竹ニ「授業三部作」の三作目、那覇市久茂地小学校6年生での授業「開国」の上映会でした。

5年前に初めて見、前ニ作品(「ビーバー」「アマラとカマラ」)以上に衝撃を受け、授業の質の高さを感じました。授業の後、高揚感の中 感想を述べている子どもたちが印象深く残りました。私も授業を受けている感覚だったのです。今回は俯瞰し見たような気がします。日本の開国を歴史の年表や事柄だけでは感じられない、その時代が持っている空気や関わった人達の体温が感じられ、その上で日本の開国があったことが他人事ではない身近なこととして入ってきました。その歴史の線上に今の日本があり、その中で私達が生きていることの意味を感じます。

この子たちはこの授業を一生忘れないだろう、そして沖縄に住んでいることの重要さを年月を経るとともに感じるのではと思いました。

知性を全体に感じる映画です。林先生が語られる知性と、林先生によって子どもたちが持っている知性が引き出されています。苦しみもがき考えている子どもたちの顔は とても美しいです。

林先生の授業の映画(書籍も含めて)で語られていることと、「子ども文庫の会」の山本まつよさんが子どもの本を含め仰ってたことは同じです。

それは本質を見ていくことです。

本質とは遠いところで話されることに、心を寄せてしまう人が多いのを感じています。本質と向き合う苦しさではなく、心地よく入ってくることに心が向くのでしょう。伝えきれないもどかしさと力のなさを感じています。それが私の今の課題です。グループ現代撮影の林先生のあとニ作品「教育の根底にあるもの」「田中正造の最後の戦い」を見た後、何かしらの課題解決の糸口が見つかるかもしれません。

「教育の根底にあるもの」は10月上旬予定です。ぜひご覧ください。

 

2023年6月14日

井上良子

9往復目

伊藤寛美さん
 
今年は 桜を例年より長く楽しむことが出来、幸せな気持となりますね。
ある方より「山本まつよさん(「子ども文庫の会」創始者)からおしえてもらったことで、井上さんが一番残っていることは何?」と訊かれ、「本質を見ていくことかな。」と答えました。おしえてくださった沢山の中で幹となるのは、やはり本質を見ていくことです。山本まつよさんとの出会いがなかったら、多分私はそのような見方をせず 生きてきたのではと思われ、大切なことをおしえていただいたと改めて思います。
 1983年に山本まつよさんに出会いそのセミナーで、「せんろはつづくよ」(岩波書店)を読んでいただき、心が躍り、ここに居ることの生きていることの喜びを感じました。文学(文芸)に出会った瞬間だったのですね。私が感じたその喜びをこれからも子どもに大人に伝え続けていきます。
 お子さんと本を楽しまれてた方も、お子さんが本から離れていくと親御さんも離れてしまわれる。逆なのかもしれませんね。本の楽しさを知ったら手放せられませんから。親御さんが本の楽しさに出会われてなく、子どもにただ読んであげてあるだけだったら、子どももその先に進めない、自然と離れてしまうのでしょう。子どもと一緒に出会うのではなく、子どもより先を進んでいかれてほしいです。いつかは追い越されるでしょうが、その時はその子は本の楽しさを十分知っていますから、自分で本を見つけ出せるでしょう。
 
 先月末、伊藤さんも同行してくださり、唐津の「べにばな薬局」さんに販売に伺い、お薬の相談に来られた方に「アンガスとあひる」「アンガスとねこ」(ともに福音館書店)を読みました。あの感動が今も残っています。その方の中に文学(文芸)の喜びが光となって入っていっていると読みながら感じられ、読んでいる私も喜びに浸っていました。本屋としての最高の瞬間です。
 
 初めて子ども文庫の会のセミナーに参加をした1983年、本屋を始めた1997年、にくらべ、子どもの本は豊かになってきたのでしょうか。冊数は多くなったのかもしれませんが、内容の質は下がってきていると思います。新しく出版される本に文学(文芸)を感じるものが少ないです。
 心が躍り、生きている喜びを感じられる、そういった本に子どもに出会っていってほしいです。そこからその子の中に生まれるものは、人を信じ自分を信じられる肯定感です。
それを感じられる子は、人生を自分の足で生き抜く力を持つことでしょう。
 
 今回で最後の往復書簡となります。書くことにより、本(文学文芸)に出会っての40年間を振り返えることとなりました。引き出しの中をのぞき、整理出来たような気分です。大切なことを確認し置くことが出来ました。
 こういった機会を設けてくださりありがとうございました。
 また、拙い文を読んでくださいましたみなさまありがとうございました。
 本屋はもうしばらく続けてまいりますのでこれからもよろしくお願いいたします。

  2024年 4月10日
子どもの本や
 井上良子

井上良子さま

最後の往復書簡が井上さんから届いて、1か月以上も経ってしまいました。

桜の木々は新緑から 濃い緑に変わろうとしています。

 

 2か月前、唐津の「べにばな薬局」さんで遭遇したことは、とても美しい時間として残っています。

 井上さんが絵本を読み終わられると、その方は涙ぐんでらっしゃいました。ご自身、愛犬と暮らされていて、近頃は叱ることが多くなっていたとか。その方の内側に閉じ込めていた愛情があふれ出されたような、何ともいえない濃密な時間でした。

“文学(文芸)の喜びが光となって入っていっている”

井上さんのお話し会や販売会へ参加・同行すると、度々、そのような瞬間を感じることがありました。私自身、「子どもの本や」さんへ初めて伺い「しずかでにぎやかなほん」(童話館)を読んでいただいたとき、心が開くような感覚を経験し、その体験が忘れられず、今に至り、井上さんのなさっていることの真似からでもとやってみているのです。

 

 文学とは何だろうと 浅はかながら考えるとき、心がどれだけ栄養を吸ったかということで、はかれるように感じるのですが、今、考えると、以前の自分の本棚はあまりにも栄養不足だったと思えてなりません。井上さんや 季刊「子どもと本」(子ども文庫の会)を知ったことが どれだけ自分の人生に影響をもたらしたか、はかりしれません。

 

 保育園の栄養士として20年勤めていたのですが、その頃の自分は どれだけ子どもたちの持っている力を信じられていたのだろうと、頭をかかえてしまいます。

 数年ぶりに その保育園の理事長先生にお会いをした時「子どもたちのなかに神様がいると思うんだよね、子どもたちと向き合うと いろんなことを教えてくれるよ」と園庭の子どもたちを見守りながらおっしゃっていたのですが、この言葉も以前の私には真意がつかめなかったと思います。

「子ども文庫の会」の創始者の山本まつよさんも 当会編集の季刊「子どもと本」のなかで、折にふれ「いつだって 子どもたちが教えてくれます」とおっしゃっています。

 何を教えてくれるかといえば「生きていることの喜び」。

 私は絵本を知ることで 子どもたちに向き合い、子どもたちを知ることで 人が生まれて死ぬということに向き合い、生きていることの喜びということに向き合い、そこには 本があるということを知りました。

 随分、時間がかかってしまったと思います。しかしだからこそ 「子ども文庫の会」さんや「子どもの本や」の井上さんには遠く及びませんが、これから 微力ながら 本の持つ力を伝えていきたいと思っています。


 井上さん、拙い文章にも誠実にお応えいただき ありがとうございました。

 そして、これからも いろんな本を教えてください。

 

 皆さまに、豊かな本とのたくさんの出会いがありますように。

 

2024年5月20日 
伊藤寛美

 


 追記

 

井上さん


 つい先日、元職場の後輩に連絡することがありました。

 2人目の子どもが生まれて6カ月になっていたので どうしているか気になり 電話しました。1人目の子は 今年の夏で3才になります。以前プレゼントしていた「とらとほしがき」(光村教育図書)を最近、よくリクエストされ、読むたびに「とら、もう1回読んで」と 続けて2~3回は読んでいることを教えてくれました。

 本を読んでいる最中に「ぼく、ほしがき もってるよ」と言うので、後輩はなんのことだろう?と、とまどうらしいのですが、その子が「とらとほしがき」を楽しんでいることが伝わってきて とてもうれしくなりました。

 

 5月末には、小郡の学童保育をされている「つむぎ」さんに伺いました。

 私が 絵本屋を閉めて、子どもたちに本を読む機会がなくなっていることを危惧して井上さんが 行ってみられてはどうですか、とおっしゃってくださったことが後押しになり、昨年末に初めて伺って以来だったので、ご連絡するのも緊張しましたが 思い切って電話をしてみると、とても快く了承してくださり、5カ月ぶりに子どもたちに絵本を読んであげることができました。

久しぶりだったので 読むことだけで精一杯で、子どもたちの様子を受けとめることはでくませんでしたが、それでも「その本、小さい頃 好きだった」とか「同じ本が 家にもある」と話してくれた子どもたちの真っすぐな目を見て、来て良かったと思いました。

 

 この1カ月の間に、井上さんと電話でのやりとりを数回させていただきましたが、その中で、この往復書簡を終了する本当のところに 私が本から離れていることが感じられることを指摘してくださいました。

「心を伝えることができなかったんだな」とも 言わせてしまいました。

わかったようなことを ぬけぬけと話している自分が とても はずかしくなりました。


 ただ、子どもたちへ良い本を教えてあげたいという気持ちにはいつわりはありません。

又、お店を再開し、伝えてあげたいと思います。

今後とも よろしくお願いいたします。

 

2024年6月15日
 伊藤寛美